自分のブログを見ながら、ときどき本気でそう思います。
2003年から書き始めて、気がつけば記事数は1521本になっていました。
別に、1500本を目標にしていたわけではありません。
SEOのためでもない。
仕事を取るためでもない。
今日はどこへ行った。
何を食べた。
何を買った。
家族でこんなことがあった。
株が上がった、下がった。
旅行へ行った。
仕事でこんなことを考えた。
そんなことを、写真と一緒に書いてきただけです。
言ってしまえば、ずっと続けてきた日記です。
それが1521本になりました。
ほとんどの記事は、たいして読まれていない。
1521本もあると書くと、
「すごいアクセスがあるんですか?」
と思われるかもしれません。
そんなことはありません。
ほとんどの記事は、驚くほど読まれていないと思います。
書いた本人ですら、存在を忘れている記事があります。
何年も前に書いて、その後一度も見返していない記事もある。
だったら、
何のために書いてきたのか。
自分でもよく分かりません(笑)。
少なくとも、
「将来、このブログを資産にしよう」
なんて考えて始めたものではありませんでした。
ただ、その時その時にあったことを書いていた。
それだけです。
でも20年以上経ってみると、少し見え方が変わってきました。
昔の記事を復刻してみた。
最近、このブログの昔の記事を少しずつ復刻しています。
古いサイトに残っていた2003年頃の記事。
昔の株式投資の記録。
旅行記。
家族との出来事。
当時使っていた写真も含めて、できるだけそのまま残すようにしています。
そこで、自分でも驚きました。
こんなこと、完全に忘れていた。
文章を読むと、
「ああ、こんなこと考えていたんだ」
と思う。
写真を見ると、
「こんな場所へ行ったな」
と思い出す。
当時は何でもない一日だったはずなのに、20年以上経ってから見ると、その何でもない一日が妙に面白い。
旅行の写真だけではありません。
その日に食べたもの。
買ったもの。
町の風景。
家族との会話。
当時使っていた物。
そんなものまで全部残っている。
写真アルバムとも少し違います。
写真だけでは、そのとき何を考えていたのかまでは分かりません。
でも文章と写真が一緒に残っていると、
その日の自分ごと残っている。
1521本という数字を見て初めて、
「これは結構なものを残したのかもしれないな」
と思いました。
書いたときには、価値なんて分からない。
ここが面白いところです。
書いた瞬間には、その記事に価値があるかどうかなんて分かりません。
今日書いた記事が100人に読まれて、
昨日の記事は3人しか読まれないかもしれない。
でも、3人しか読まれなかった記事が、10年後には自分にとって大事な記録になっているかもしれない。
あるいは何年も経ってから、検索で誰かがたどり着くかもしれない。
発信というと、どうしても
「何人に見られたか」
「何件いいねが付いたか」
「フォロワーが何人増えたか」
という数字で考えます。
もちろん仕事なら、数字は大切です。
私も広告の仕事をしているので、数字は見ます。
でも1521本を書いてきて思うのは、
発信の価値は、投稿した日の数字だけでは決まらない。
ということです。
広告は、止めれば消える。
私は長く広告・販促の仕事をしてきました。
広告には大きな力があります。
短期間で多くの人に知ってもらうことができる。
新しい店をオープンした。
キャンペーンを始めた。
新商品が出た。
そんなとき、広告の瞬発力は非常に強い。
でも広告には、当たり前ですが一つ特徴があります。
止めれば、止まる。
Google広告もInstagram広告も、予算を止めれば露出は止まります。
新聞広告もチラシも、出したそのときが一番強い。
これは広告が悪いという話ではありません。
広告とは、そういうものです。
一方で文章や写真は、少し違います。
残しておけば、残る。
今日ほとんど読まれなくても、来年誰かが読むかもしれない。
検索で見つけられるかもしれない。
誰かがリンクを送るかもしれない。
自分自身が20年後に読み返すかもしれない。
だから最近、
広告は瞬発力で、コンテンツは蓄積なのかもしれない。
と思うようになりました。
最初から「資産」を作ろうとしなくてもいい。
「コンテンツは資産です」
マーケティングでは、よく使われる言葉です。
間違ってはいないと思います。
でも自分の1521本を見ていると、少し違う気もします。
私は資産を作ろうと思って1521本書いたわけではありません。
毎回、
「この記事は検索流入を獲得できるだろうか」
なんて考えていたら、おそらく1521本も書けなかったと思います。
ただ面白かったから書いた。
残しておきたかったから書いた。
誰かに話すような感覚で書いた。
その結果、20年以上経ってから振り返ると、
いつの間にか資産のようなものになっていた。
最初から価値を作ろうとするのではなく、
続けた結果、価値が生まれるものもある。
これは発信を考えるうえで、結構大事なことなのではないでしょうか。
店舗の発信も、同じかもしれない。
これは、お店のSNSやWebサイトにも少し似ていると思います。
「毎日Instagramを更新しましょう」
と言われても、
「そんなに投稿することなんかないよ」
と思う店主は多いでしょう。
それはそうだと思います。
毎回キャンペーンを作る必要はありません。
毎回「今なら10%OFF」と言う必要もない。
今日入った食材。
新しく変えたメニュー。
常連のお客様に言われた一言。
店を始めた理由。
なぜこの商品を置いているのか。
店主が好きなもの。
何でもいい。
一つ一つは大した情報ではないかもしれません。
でも、それが積み重なってくると、
「この店は、こういう店なんだ」
という輪郭が見えてきます。
初めてその店を知った人が過去の投稿を見て、
「なんか良さそうだな」
と思う。
それも立派な来店理由です。
「今日何人見たか」だけではない。
もちろん、商売で発信する以上、結果は必要です。
見られなくてもいい。
売れなくてもいい。
という話ではありません。
ただ、
一回の投稿ですべてを判断しない方がいい。
と思っています。
今日の記事が、今日のお客様を連れてくるとは限らない。
でも10本、30本、100本と積み重なることで、
検索した人が読むものが増える。
SNSで店を知った人が過去を見る。
店の考え方が伝わる。
安心する。
そして、
「ここなら一度行ってみようかな」
と思う。
一つの記事が直接来店を生むというより、
積み重なった発信全体が、その店を選ぶ理由になっていく。
そういうこともあるはずです。
1521本書いても、答えはよく分からない。
では、
「ブログを1521本書くと何が起きるのか」
と聞かれたら。
正直、よく分かりません(笑)。
人生が変わったわけでもありません。
ブログで大金を稼いだわけでもありません。
有名になったわけでもない。
おそらく明日書く記事も、それほど多くの人には読まれないでしょう。
それでも、やめなくてよかったと思います。
20年以上前の自分が書いた文章を、今の自分が読める。
家族との時間が残っている。
行った場所が残っている。
考えたことが残っている。
そして1521本を並べてみると、
自分が何を見て、何を面白がって、何を大切にしてきたのかが、なんとなく見えてくる。
これは、書いた本人にしか作れない記録です。
「見つかる」ということ。
t-styleの仕事を始めてから、
「見つけてもらう」
ということを以前より考えるようになりました。
どんなに良い店でも、存在を知られなければ来てもらえません。
だからGoogleでも、SNSでも、広告でも、Webサイトでも、
まず見つけてもらうことが必要です。
でも考えてみれば、私のブログも同じです。
1521本の記事の中には、今は誰にも読まれていない記事がたくさんあります。
それでもそこに残っていれば、
いつか誰かに見つけられる可能性がある。
存在しなければ、見つけようがありません。
発信するというのは、
今すぐ何かを売ることだけではなく、
未来の誰かに見つけてもらえる場所を、一つずつ増やしていくことなのかもしれません。
広告は消える。でも、1521本の記事は残った。
だからといって、これから1521本ブログを書きましょう、という話ではありません(笑)。
ただ、一つだけ思います。
今日発信したものに、
今日すぐ結果が出なかったからといって、
それに価値がないとは限らない。
書いたもの。
撮ったもの。
考えたこと。
店が積み重ねてきたもの。
それを残しておく。
いつか誰かが見つける。
そして、そこから何かが始まる。
20年以上ブログを書いてきて、ようやくそんなことを考えるようになりました。
まあ、それでも次の記事を書くときには、
「誰が読むんだろうね(笑)」
と思うのでしょうけど。
