Google広告とInstagram広告です。
自分で設定して、自分で配信して、自分で数字を見ています。
なのに、不思議なことがあります。
自分で出している広告に、自分がなかなか出会えません。
Googleで検索してみる。
出てこない。
Instagramを見てみる。
やっぱり出てこない。
もちろん広告なので、誰にでも同じように表示されるわけではありません。
分かってはいます。
でも、自分で出している広告が自分に見えないと、
「本当にちゃんと出ているのかな」
と、少し不安になります。
広告を30年くらいやってきましたが、実際に自分で運用までやるようになって、こんな感覚になるとは思いませんでした。
広告主は、自分の広告を見たくなる。
たぶん、広告を出した人はみんな一度くらいやると思います。
自分で検索してみる。
Instagramを開いてみる。
掲載されているか確かめたくなる。
広告代理店にいた頃も、
「自分で検索したけれど、広告が出てこない」
と言われることはありました。
そのたびに、
「検索する人によって表示は変わります」
とか、
「必ず表示されるわけではありません」
とか、
説明していました。
今は自分が、その広告主側にいます。
だから気持ちがよく分かります。
見たいんです。
自分が出した広告を。
昔、川越まで広告を見に行ったことがあります。
そういえば昔、川越の仕事でYahoo!のディスプレイ広告を出したことがありました。
そのときも、広告がちゃんと出ているか気になっていました。
今ほど管理画面で細かく数字を見るような感覚でもなかったので、
「実際に現地で見れば出るかもしれない」
と思ったんです。
それで、わざわざ川越まで行きました。
現地に行けば、地域に配信されている広告が自分にも出るんじゃないか。
そんな期待がありました。
パソコンを開いて、Yahoo!を表示する。
リロードする。
出ない。
もう一度リロードする。
やっぱり出ない。
またリロードする。
それでも出ない。
何度やったか覚えていませんが、とにかく何度も更新しました。
当然ですが、広告は自分のためだけに配信されているわけではありません。
ターゲティングもあります。
配信量もあります。
他の広告との競合もあります。
一人の人に必ず表示されるものでもありません。
頭では分かっていました。
でも、現地まで行ったのに出ない。
あれは結構つらかったです。
「本当に出ているのか?」
「設定、間違っていないか?」
「クライアントに聞かれたら、どう説明しよう」
そんなことを考えながら、ひたすらリロードしていました。
今思えば、かなり滑稽です。
でも当時は真剣でした。
広告を出している側は、それくらい自分の広告を確認したくなるものなんだと思います。
今も、似たことをやっています。
時代は変わりました。
Yahoo!のディスプレイ広告を川越まで見に行った頃とは、広告の仕組みも管理画面もずいぶん変わりました。
今は数字を見れば、
表示された。
クリックされた。
どの地域から来た。
どのデバイスから見られた。
かなり細かいところまで分かります。
それでも、自分の目で広告を見たくなります。
井土ヶ谷のGoogle広告を出していると、自分で検索してみる。
Instagram広告を配信すると、自分のフィードに出ないか確認してみる。
出てこない。
すると、少し不安になる。
30年前も今も、そこはあまり変わっていないのかもしれません。
でも、よく考えたら私に出る必要はない。
ある日、検索しながらふと思いました。
これ、私に表示されても意味がないな、と。
私はこのワークスペースを知っています。
場所も知っています。
サービスも知っています。
広告をクリックして利用する可能性もありません。
だったら、私に広告を見せる必要はありません。
広告を見てほしいのは、
井土ヶ谷の近くで仕事をする場所を探している人。
家ではオンライン会議がしにくい人。
外出の途中で少し仕事をしたい人。
集中できる場所を探している人。
そういう人たちです。
当たり前の話です。
でも、自分で広告を運用していると、この当たり前のことを妙に実感します。
川越まで行って広告を探したあの頃も、
井土ヶ谷の広告を自分で検索している今も、
結局やっていることは同じです。
広告主である自分が安心したい。
それだけなんです。
広告は「見せる仕事」ではないのかもしれない。
広告の仕事をしていると、
何回表示された。
何人に届いた。
何回クリックされた。
そんな数字を毎日見ます。
もちろん、それは大事です。
でも、本当に大事なのは、
必要としている人に見つけてもらえたか。
なのだと思います。
これはGoogle広告だけの話ではありません。
Instagramもそう。
Googleビジネスプロフィールもそう。
チラシもそう。
看板だってそうです。
広告や販促は、
「ここにあります」
と知らせる仕事です。
でも、ただ知らせればいいわけではない。
その人が必要とした瞬間に、
「そういえば、あそこがあった」
と思い出してもらえること。
検索したときに見つかること。
見つけたあとに、
「ちょっと使ってみようかな」
と思ってもらえること。
そこまでつながって、初めて意味があります。
見つけてもらった、その先。
t-styleを始めてから、
広告だけを見ることが少なくなりました。
広告をクリックしたあと、どこへ行くのか。
Googleマップを見たとき、どう見えるのか。
Instagramのプロフィールを見たとき、どんな店や場所だと思うのか。
ホームページを開いたとき、使う理由が分かるのか。
広告は入口の一つでしかありません。
見つけてもらう。
知ってもらう。
少し理解してもらう。
そして、
「ここに行こう」
という理由ができる。
その流れを作ることの方が、広告そのものより大切なのかもしれません。
数字が見えるようになっても、不安はなくならない。
今の広告は、昔よりずっと見えるようになりました。
表示回数も分かる。
クリック数も分かる。
動画の再生回数も分かる。
プロフィールへのアクセスも分かる。
リンクが押されたかどうかも分かる。
便利です。
でも、数字が見えるようになったからといって、不安がなくなるわけではありません。
数字が出れば、
「この数字は良いのか?」
と思う。
クリックされたら、
「その先で何が起きたのか?」
と思う。
配信されていたら、
「本当に必要な人に届いたのか?」
と思う。
広告の仕事は、確認すれば終わる仕事ではないのかもしれません。
一つ確認すると、次の疑問が出てきます。
だからまた見る。
考える。
直す。
自分に見えなくてもいい。
今でも、ときどき自分の広告を検索します。
そして出てこないと、少し気になります。
たぶん、これからもやると思います。
川越まで広告を見に行った頃と、根っこのところでは変わっていないのでしょう。
でも以前ほど不安にはならなくなりました。
自分に見えることが目的ではない。
必要としている人に見つけてもらえればいい。
広告を出している本人が広告に出会えない。
考えてみれば、それは案外、正しい状態なのかもしれません。
広告は、広告主を安心させるためにあるのではなく、
その場所を必要としている誰かと、
その場所をつなぐためにある。
昔、川越で何度もリロードしながら広告を探していた自分に、
今ならそう言ってあげられる気がします。
そしてたぶん、今の自分にも。
自分に見えなくても、必要な人に見つかればいい。
最近、そんなことを考えています。
